カール・ヤスパース 経歴とその思想発展2 リッケルト、新カント学派との対立

 1921年に、哲学科正教授に就任したヤスパースは専ら哲学的探究に沈潜することになった。同僚リッケルトとの間柄は必ずしも悪いわけではなかったが、少なくとも学問上の立場では明らかに対立していた。

 リッケルトから見れば、ヤスパースは精神病理学出身の一哲学愛好者であり、何ら医学的根拠のない主観的世界観を表白して事足れりとする、リッケルトのいわゆる「生の哲学者」に過ぎない。反対にヤスパースから見ればリッケルトの論理主義的価値哲学体系は哲学の陥る悪しき形式的自己拘束の典型的なものであり、人間の躍動する生命的現実をあまりにも無視した新カント学派一般と共に、彼が乗り越えようと試みる前世紀的範型なのである。このような異質的な同僚を椅子に据えることもまた哲学の進展のためには必要であるとしたリッケルトの寛容の態度は彼の偉大さを表すものであるが、一方学問上では同僚に対しても容赦するところ無く峻烈な批判をあえてした点もリッケルトの彼らしい側面である。

 これに対してヤスパースは、唯々沈黙をもって答えていた。思うに彼の立場からすれば、リッケルトのごとき人は論理的に超越する可能的実存として見られ得るのであり、頑強に自己の立場に徹底するだけそれだけ優秀な「愛しながらの闘争」の相手でなければならないのであるが、かかる実存哲学的意識の完全な組織を彼は近い将来に成就して、もって自己に対する種々の誤解を一掃する心算があったからであろう。

 この頃には彼は唯々、以前の精神病理学的立場から考察した論文『ストリントベルクとヴァン・ゴッホ―スウェーデンボルク並びにヘルダーリンを対比的に参照する病理記述学的分析の試み―』(1922年)、及び『大学の理念』(1923年)の二著を公にしているだけである。

 先の大著『世界観の心理学』が出てから、次に注目すべき小著『現代の精神的状況』が31年に出るまでに十余年の歳月が流れている。しかし、この長い沈黙の期間に彼の実存哲学建設は着々と進捗していたのである。この十年はドイツにとってもまた建設の十年であった。戦後のドイツ国内は経済的困窮に伴う社会的混乱の坩堝であり、政治は確信も見透しもない闘争と足掻きに終始し、人々は絶望のどん底に真っ黒な不安に脅かされるよりはむしろ憂愁を消し飛ばす刹那的享楽へと走った。

 思想界は驚くべきイズムの氾濫を示し、喧々諤々として、そのどれもが国民の進むべき将来の針路を指示するとは見えなかった。経済的回復に先立って緊急に要請されたのはまず国民が思想的に立ち直ることであった。一時は極端なダダイズムにまで陥っていた芸術界のデカダン風潮も次第に超現実主義を通じてさらに新即物主義にまで治癒されて来た。

 誤ったニーチェ主義は深刻に解体されたそれへ、単なる熱情的爆発であったマルクス主義は冷静な批判の対象たるそれへと移行した。
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